森 博氏
糸工房「森」オーナー あきる野市
黒八丈とは?
黒八丈は、森さんが生まれ育った五日市で幕末から明治時代にかけて盛んに行われた絹織物で、
八丈島の「黄八丈」、奄美大島の「大島紬」と並ぶ泥染めの一種、別名で「五日市」とも呼ばれています。
生地は織る前にヤシャブシの染料と鉄分の多い秋川の泥で染めます。
黒八丈の色はライトブラウンからほとんど黒に見えるダークブラウンまでさまざまですが、
絹糸を何回泥で染めるかで色が変わります。
その昔は日本中でよく知られていましたが、時間のかかる工程のため、時間の経過とともに人気が低下し、いつの間にか幻の技法となり人々の記憶から忘れ去られていました。
黒八丈の復活のきっかけ
森さんは、あきる野市(旧五日市町)にある製糸工場「糸工房森」の三代目です。
約30年前、先代から事業を継いだばかりの頃に、たまたま五日市町の歴史書の中で「黒八条」という記述を見つけました。
その中で歴史が家業の絹糸生産に関係していることに気づき、
当時の色も染色法も一度は失われてしまい手がかりもない中からも
試行錯誤を繰り返しながら染色法を復活させました。
何度も染めを重ねることで
深みのある黒色に
絹は、まずヤシャブシの実から抽出した「ヤシャブシ液」に浸して染色し、泥で媒染して色を出します。
絹を泥で染める回数によって色が変わるので、つや消しの黒にするには20回以上繰り返す必要があります。
絹糸はデリケートなため、その過程で絹糸を扱うのに苦労したそうです。
「何回も染めると糸が絡まりやすく、長年生産性が上がらなかったが、今では生産性も作業効率もアップし、
帯やマフラー、バッグなど、黒八丈の商品をより多く生産できるようになりました。」
“黒八丈は地元五日市の誇り”
黒八条はかつて生産性の低さからその技法も生産者も失われました。
しかし、現在では地元の人々は森さんが作った黒色に気づき、泥染めとしての「黒八条」を知っています。
「黒八条は五日市の誇りです。この伝統を継承していくべきなので、流行に合わせて新しい黒八条を創り、次の世代に引き継いでいけたらと思っています。」
彼は現在この地域で唯一の染色技術を持つ職人であり、市内の「あきる野の匠」と認定された5名の匠の1人です。
泥で染めた絹の仕上げは秋川の冷水で
~ 西多摩の匠体験 ~
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三重県の伊勢神宮で20年に一度行われる式年遷宮では、刀の握りに使う糸として森さんの絹糸が神宝として奉納されます。
また、合成糸が主流になる前は、医療用・手術用の糸としても使われていました。
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